正しそうなことを疑うこと(統一感を例に)

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システムを組み合わせた状態でテストしていると、自ずと「システム全体として統一感がとれているか?」のような視点でも確認しますよね。わたしの場合は ”わざわざ確認する” というよりは、テスト対象を触っていて、統一感がとれていない事象に遭遇したとき、それが違和感となって現れることが多いです。なんとなく気持ち悪かったり、不安になったり、混乱したり、意図しない挙動を見たり、操作を間違えたりするんですね。

ユーザーインターフェースの見た目や操作感、画面遷移、使われる用語やメッセージの文言、データの取り扱いなど、統一感をキーに注目するところは沢山あると思います。

そういえば昨日も1箇所直してもらったなー。数値と単位の間に隙間(半角スペース)がある画面とない画面がありまして、動作には全く影響しないのだけど。(そういった些細なところにもわたしたちは気を配って日々モノを作っている)


さてさて、統一感があることは良いことなのですが、いつでも、どんなときも、それが当てはまるわけではない、というのがちょっと難しい。統一感がある=良い!と思ってしまい、問題に気づけないことがありそうで、これがこわいのです。

例えば、あるシステムではコマンドボタンにフォーカスがあるときにreturnキーを押しても実行できるようになっていたとします。

システム内のすべてのコマンドボタンを触りreturnキーを押して実行できれば、その操作方法は「統一感がある」ということになります。

もし、あるコマンドボタンだけreturnキーを押しても実行できなかったとしたら(あれ?イベント処理を書くのが漏れたかな?)と思い、担当のプログラマーに報告するのでしょうね。


確かに漏れた場合もあるのですが、このコマンドボタンが「X線の曝射ボタン」だとしたらどうでしょうか?(あくまでも例です。ライフラインや人体に危険を及ぼす可能性のあるボタンを想像してください。)

そう、ここではユーザーが”間違って”曝射ボタンを押さないように、わざとreturnキーでは実行できないようにしています。ここに操作の統一感はありません。

それでは、逆に考えてみます。

X線の曝射ボタン」がreturnキーで実行できたとして、果たして(これだと、まずいのでは…)と思えるのか。

曝射ボタンの場合は(あくまでも例)もう分かったのでいいのですが、まだ見つかっていない問題に、わたしは気づけるのでしょうか。

それに気づくためには、 一般的に正しいと言われていること(今回の場合は、統一感がとれていること)にさえも、惑わされてはいけないのだなぁと思います。

本当に正しいのかな?
それは自身の価値観や固定観念を疑うことでもあります。