CAT GETTING OUT OF A BAG

What the tester is thinking.

2019年、娘ちゃんは社会人になった。

2020年がはじまってだいたい24分の1が過ぎた。これといってなにもせずになんとなく過ぎてしまった。こんな感じで1月もあっという間に終わるのだろうと思ったけど、なにもしてないわけはなくて毎日ちゃんとなにかはしてる。

2019年は娘ちゃんが社会人になった年でもあった。あのちいさかった娘ちゃんがわたしとおなじ社会人になった。とても不思議な感覚だ。10か月経ったけどまだ慣れない。

20年前のちょうどいまくらいの季節だった。右手をぎゅっと握りしめ、幼稚園バスから降りてきた光景をはっきり覚えている。差し出された手のひらには赤いボタン6個と糸くずがあった。ミキハウスの赤いPコートに視線をうつすとボタンが1つもついてなかった。娘ちゃんがじぶんで取ったところまではわかった。

いまのわたしならいつもどおりの口調で「どうしたの?」と聞くことができる。当時はそれができなかった。思い出すたびにこころが締めつけられる。いろいろいっぱいいっぱいだった。仕方なかった。

わたしの脳内の記憶領域の索引のひとつは娘ちゃんだと思う。胎児、新生児、乳児、幼児、小学生、中学生、高校生、大学生、大学院生。それぞれの学年や季節ごとの行事や日常の些細な出来事や小さな事件などにリンクして、いろんなことを思い出せるのだ。


2019年、娘ちゃんは社会人になった。

娘ちゃんは職場近くのアパートに引っ越した。何かあったときに車で駆けつけられるようにと普段なら絶対にしない長距離運転を2回した。入社式や新人研修や新人歓迎会の話を聞いて、自分が新入社員だった頃を思い出した。仕事やチームの話を聞くにつけ、職場の雰囲気や上司や先輩はこんな人たちなのかなと想像している。休日はたまに同期の仲間と遊んでいるらしい。娘ちゃんの名前が印字してある名刺をもらった。感動した。わたしの名刺と交換した。はじめてもらったお給料でなにか買ってくれると言うので、ずっと使えそうなバッグを選んだ。うれしかった。数日後あらためてバッグをみて泣いた。そして2020年のお正月は、はじめてお年玉をあげなかった。

娘ちゃん社会人1年生が新たな索引となってわたしの記憶に色濃く残りそうだけど、社会人2年生、3年生……は、果たしてどうなるのだろう。


実はすこし前から気づいていることがある。これまで娘ちゃんにわたしが好きで自分勝手に捧げていた(もしかしたら鬱陶しく思われていたかもしれない)パワーが消費しきれずに余っているのだ。ちょっとくらい無駄になってもいいので楽しいことに使いたい。*1わたしはもともとあまり体力がないので、それでも人並み以下なのだろうけど、これまで意識的に(無意識かもしれないが)選択してこなかったことをすこしずつやってみようと思う。

変わらないのは娘ちゃんが生まれる前も、50歳になったいまもソフトウェア技術者で、この職業を選んでよかったということだ。製品開発は本当に面白い。

*1:娘ちゃんにお金がかからなくなり、わたしの預金額も急速に増えていってる。こっちは無駄に消費せず老後のために貯蓄しなくてはならない。