CAT GETTING OUT OF A BAG

What the tester is thinking.

言いにくいことを言うには練習が必要

先日行われた某チームのAAR(と名のついた違う催し物、品質活動)の結果の対策のひとつが「命名規則をちゃんと周知させる」でした。チーム開発は他人が書いたソースコードを読んで理解するのが仕事、みたいなところがあるので(長命な製品開発になると特にそうだよね)みんなが誤解しにくい名前をつけるのは大切です。書籍『プログラマが知るべき97のこと』でRubyのパパこと、まつもとゆきひろさんも『名前重要』というタイトルでエッセイを寄稿されてますね。

名前が大切であることは疑いの余地がなく、自分でも納得しているのに「命名規則をちゃんと周知させる」を聞いたときに「なんだそれは…」と思ってしまいました。それでこう言いました。

次は "命名規則に則った名前だったけど中身が思っていたのとちょっと違いました" とかになるんだから、中身を見ないとだめだよね

実はこれ、とても言いづらくて、なぜならわたしは仕事ではコードを1バイトも書かない。当然中身も見ない。中身を見ない人に「中身を見ないとだめだよね」と言われたらどう思うかってことですよ。でもその一方で「命名規則のせいにして…」「はっきり言わないと分からない人がいるかもしれない…」が、あたまの中をぐるんぐるんする。

テストもそうだけど「ここは大丈夫」と思っても0.1mmでも不安があるなら試すでしょう。大抵はちゃんと動くんだけどね。だから、わたしがわざわざそんなことを言わなくても、みんなは分かってる。と思うんだけど、やっぱり不安がゼロにはならなくて言っちゃった。

さっき「名前が重要であることは疑いの余地がなく、自分でも納得しているのに」と書いたけど、こういう正しいこと(正しそうなこと、耳あたりのよい言葉)に対して「んん?」と斜に構えてしまうのはなんなんだろうな。年々そういう傾向が強くなってるような気がします。

言いにくいことを言うには練習が必要

わたしが言いにくいことが言えるようになったのは、書籍『エラスティックリーダーシップ ―自己組織化チームの育て方』で、プロの無職 @m_seki が『リードについて』を書いてくれたからなんだよね。

本エッセイでは「リード」とは変化を促す「言いにくいこと」を発信することではないかと仮定してお話を続けます。

今回の「言いにくいこと」が変化を促したかどうかはさておき、言いにくいことを言うには練習が必要です。エッセイを読んだからって突然言えるようになるわけではない。すくなくともわたしはそうでした。

だから、これは言いにくいなって思ったら、まずは「言いにくいことを言う練習だな」と思ってやるといいのではないでしょうか。

正しい日付を入力してるのにエラーになるときがある

今年に入ってから二つの異なるソフトウェア(iOSアプリと組み込み系)で「正しい日付を入力してるのにエラーになるときがある」というバグに遭遇しました。おかしさっぷりが似ていて、きっとこれは「よくある不具合」なんだろうなと思いました。

軽い気持ちでお題風にツイートした

軽い気持ちでお題風にツイートしたら「ソフトウェア開発で日付を扱うときに気にしたほうがいいこと」が、たくさん集まりました。うれしかったです。

「1. どのようなことが起きていると思いますか?」では、失敗しそうなシチュエーションや疑わしいところ、確認したい事柄など、多種多様なコメントが寄せられました。これらをベースに実践的なテストケースが導き出せますね。「2. どんなテストをしてみますか?」では、具体的なTestingのテクニックや、この状況でのテストの考え方、攻め方について言及してくださった方もいました。

また「正しいとはなにか」「おかしいのは日付ではないのではないか」のような切り口から考えてくださった方もいました。どれもユニークで素晴らしい回答だと思います。たいへん勉強になりました。ありがとうございました。

togetter.com

Togetterのコメント欄にも知見が寄せられています。興味のある方は読んでみてくださいね。

この知見の楽しみかた

みなさんからいただいた貴重な知見を、分類してチェックリストにするとか、重複しないように整理してマッピングするとか、そういう野暮もったいないことはいたしません。そんなことをしたら大切なものを取りこぼしてしまいます。

ツイートをひとつひとつじっくり読み、この方はなぜそう思うのか、なぜこういうテストをしようと考えるのか、わざわざなんでこれを書いてきたのか(笑)とか、行間にも想いを馳せます。そこから浮かびあがる思考の背後にある、みなさんの開発(これまでに遭遇してきたであろうバグや開発に関する問題など)を感じ、想像(妄想?)するのです。そしてそれを自分の脳内に疑似体験として保存する。大切なことはね、たいてい書いてないのです。

どのような不具合だったのか

これを当ててもらうためにツイートしたわけではないのですが、どんな不具合だったんだろうって気になる方もいるかもしれないのでメモしておきます。

再現手順

  1. 登録画面を表示する
  2. 日が不正な日付を入力する(例 "19650332")
  3. 入力チェックでエラーになる(OK)
  4. 入力した日付を全て消す
  5. 正しい日付(例 "19650325")を入力する
  6. 入力チェックでエラーになる(NG)

なぜエラーになったのか

日付欄(見た目)は"19650325"と表示されていたが、入力チェック用の日付変数には"  19650325"と入っていた。先頭にスペースが2つ入っていた。日付のフォーマット(YYYYMMDD)と合わないためエラーと判断された。入力チェックの過程で使用する中間バッファにある条件下で不要なスペースが残ってしまうような実装になっていた。*1

まあ、簡単に見つかると思う

不正な日付を入力したあとに正しい日付を入れ直すような操作をすれば見つかる不具合です。実際はもうすこし複雑で年(YYYY)が不正だとこの現象は起きません。また日付のフォーマットによりおかしさの挙動が変わります。まあでも、このブログをお読みのみなさんはすぐに見つけることができると思います。

この不具合のヤバさ

日付欄に入ってる(目に見える)値で日付のチェックをしてると思ってたのに、そうじゃなかったのがかなりヤバい!!!! たまたまうまく動いてる(ように見える)やつもあるんじゃないの!!「よし!」と思っていたところも、急に疑わしくなってきますな。大切なことはね、たいてい目に見えないのです。

*1:どうでもいい話ですが、1965年3月25日は Sarah Jessica Parker さん(米国の女優、プロデューサー)の誕生日です。たまたま週末にアマプラでみた映画にSarahが出演していて、なんとなくテストデータとして使用しました。この不具合は「サラの呪い」と名づけられています。

新型コロナワクチン接種(2回目)の体験記

新型コロナワクチン接種(1回目)の副反応は、接種部位周辺の痛みと、1週間後に出現したモデルナアームくらいでぜんぜん余裕だったが、2回目はつらかったので記録しておこうと思う。

うちの会社の職域接種は1回目、2回目とも10日間の日程で実施した。私はあとのほうだったから、先に接種した同僚たちが2回目の接種後(翌日から翌々日にかけて)ばたばたと休んでいるのをみて、日に日に恐怖感を募らせていった。一方で自分の身にこれから起きる何かに若干のスリリングを感じていた。*1

接種日の5日前、私は蕁麻疹を発症した。5年前にも同様の蕁麻疹を発症し、このときは様子を見すぎて意識消失からの救急搬送となり、医者から「次回はすぐに来て。様子を見ていると死亡します」と宣告されている。そんなわけで「これはやばい!このテスト(仕事)してたら死んでしまう!」と、急いで病院に電話したら「外来は受け入れられない」とのこと。地域医療の中核をになっている救急指定病院(三次救急)だし、情勢からみてまあそうなるかもな…と予想はしていたが、医療が逼迫して救える命も救えないってこういうことなんだなと実感した。*2 その後、紹介された町の開業医に診ていただき、薬を処方してもらう。薬を服用してとりあえず蕁麻疹はおさまった。よかった。

ワクチン接種は16時。接種後の待機時間が蕁麻疹のこともあり通常15分のところ30分になった。前の人の椅子の背もたれに貼ってあった 厚生労働省からのお知らせ『新型コロナワクチンを受けた後の注意点』を読んだり、総務や健康支援センターのスタッフの働く様子を見ていた。

30分後、何も異変なく(よかった)職場に戻り、夕会に参加して当日の業務は終了。1回目のときも思ったけど、注射時の痛みが軽減されているなとあらためて思った。針を腕に刺すときは痛いけど、インフルエンザの予防接種のように薬液が入るときのズーンという、あの嫌な痛みをそれほど感じない。インフルエンザと比べて薬液の量が少ないからなのか?

帰宅後、熱を測ったら36.3℃。特に体調に変化なし。夕ご飯を食べたあとすこし胃が痛くなって、ソファで横になっていた。接種してから5時間たった21時頃、接種部位周辺がじんじんと痛くなってきた。経過の詳細を下表に記す。(スマートフォンだと見づらいかもしれない。ごめんなさい。)

結局、ワクチン接種の翌日と翌々日は仕事ができる状態ではなかったので休んだ。モデルナ(武田薬品)ワクチンの副反応としてあげられている症状のうち、発熱、接種部位の痛みと腫れ(表では腕の痛みと記載)、疲労(表では倦怠感と記載)、吐き気があった。また副反応としてあげられていない胃痛もあったが、これは気分的なもの(ワクチン接種と副反応に対するストレス)かもしれない。

体温は38.0℃まで上がったが、これが新感覚だった。風邪をひいて発熱するのとはまったく違う。寒気(悪寒)もなければ、頭痛や関節痛もない。喉も痛くないし、くしゃみ、鼻水も出ない。熱というパラメータがひとりで勝手に上昇した感じ。体温計の38.0の数字を見たときは「これからもっと上がるのかな」と思ったが、1時間後には36.8℃に下がり、数時間後にまた上がったりと不安定だった。測り方がおかしかったのかもしれない。計測器としての体温計の正確性を気にしたことがなかったな、と気づく。

一番つらかったのは吐き気だ。腕の痛みは接種した左腕に圧を与えなければ何とかなる。倦怠感もとりあえず横になっていればどうにかしのげる。でも吐き気だけはだめだ。なにをしても吐き気から逃れられない。普通におなかは空くので食べたいのに気持ち悪くて食べられない。こんなにつらいことがあるか?…と書いてはみたが、表を見ると「食べてる」ので説得力がない。食事を美味しく食べられないのが本当につらかったんだ。わかってくれ。

日付 時刻 体温 コメント 腕の痛み 倦怠感 吐き気 胃痛
8/17 16:00 36.2 ワクチン接種        
  18:00 36.3 帰宅        
  19:00   ちょっと胃が痛い      
  21:00 36.3 腕が痛くなってきた  
      ちょっと気持ち悪い  
8/18 02:00 36.3 目が覚めて水分補給  
  06:00   腕がめっちゃ痛い  
  07:00 36.8 身体が重い
      ヨーグルトを食べる
  08:00 37.0 EVE頭痛薬を飲む
  09:00 37.2 何もやる気が起きない
  11:00 38.0 気持ち悪い
  12:00 36.7 冷麺を食べる ◉   
  14:00   だるくて何もできない ◉   
  15:00 37.6 気持ち悪い ◉   
  16:00 37.3 とにかく気持ち悪い ◉   
  18:00 37.6 お茶漬けを食べる ◉   
      EVE頭痛薬を飲む ◉   
  19:00   すぐ横になってしまう ◉   
  20:00   めっちゃ身体が熱い  
      エアコンをつける ◉   
  23:00 36.6 大量の汗をかいた ◉   
      シャワーする  
8/19 06:00 36.6 昨日よりは楽なのか?  
  07:00 37.6 だめだ、気持ち悪い  
      休暇連絡する  
      ヨーグルトを食べる  
  11:00 37.0 ちょっと気持ち悪い  
  12:00 37.6 かた焼きそばを食べる  
  13:00 37.1 近くで火事が発生  
  16:00 37.1 やっぱり気持ち悪い  
  18:00 37.3 しらす粥を食べる  
      ハーゲンダッツを食べる   
  20:00 37.0    
8/20 07:00 36.4 寝過ぎて腰が痛い      
      気持ち悪くない!      
      今日は仕事できるわ      
  18:00 36.1 腕も痛くない!        

追記(2021.08.28)

接種から10日たったけど、1回目のときのようなモデルナアームにならなかった。 

追記(2021.08.29)

高級なシャンプーとコンディショナーを買ってしまった。副反応だと思う。

 

*1:このあたりがサディステックと思わせる所以なのか? 参考文献:サディステックミワテスト

*2:実際にはいろんなやりとりがあった。5年前のカルテと照合しながらの現況の聞き取り。もう一度受け入れ状況を確認してみるからと短時間に2回も電話をかけ直してくれた。受け入れできないとなったあとも、木曜日の午後(休診が多いのだ)でも受診可能な開業医をいくつか紹介してくれた。午後の診察まで1時間半待たなければならないことを気にしてくれて「もしその間に急変したら救急車を呼んでほしい。急変する前は全身の血管が広がるから寒気を感じることが多い。とにかくいつもと違う感じがしたらすぐに救急車を呼んでください」とアドバイスしてくれた。地域住民からこのような電話がひっきりなしにかかってくるのだろう。丁寧に応対してもらい本当に有り難かった。

JaSST Online Clover に参加しました #JaSSTOnline

JaSST Online Clover に参加しました。 

www.jasst.jp

今回のテーマは「アウトプット(技術の発信)」でした。講演者の御三方(あきやまさん、カズさん、まつさん)は、特に好んで読んでいるブログの発信者で、このような機会がなければ知り得ない「アウトプットの舞台裏」を垣間見ることができました。たいへん貴重なお話をありがとうございました。OST(Open Space Technology)も含めてですが、自分自身のアウトプット活動やそのスタンス、モチベーションなど、普段あまり意識していないことを考える時間にもなりました。

この記事は『私がブログを書くときに大切にしている"たった1つ"のこと』を書きます。そう、あきやまさんのLTのオマージュです。

私がブログを書くときに大切にしている"たった1つ"のこと

私が大切にしていることは「読者はだれか」です。読者と言っても世の中のプログラマーとかテスターとかスクラムマスターとか不特定多数のだれかではなく、具体的な「だれか」を思い浮かべて書いてます。

たとえば、前回のJaSST Online Bergamot に参加したときの記事の読者は

  • シンポジウムに参加した人たち(実行委員を含む)
  • セッション1「探索的テスト」のゲスト:ねもとさん
  • OSTオーナー:しろもとさん
  • OSTオーナー:とろさん

先月のJaSST北海道に参加したときの記事の読者は

  • シンポジウムに参加した人たち(実行委員を含む)
  • 事例セッション『役割分担して行うペアテスト』の講演者:よしたけさん、saeさん

です。

今回シンポジウムに参加して、みなさんのお悩み(なかなかアウトプットできない…など)を聞いて思ったのは「私はひとつひとつの記事に対する想定読者がものすごく狭いから、そんなに苦労しないのかな?」ということでした。仮に QA(品質保証)に関わる人たちに対して何か書こうとしたら「うーむ」となりそうです。

具体的な「だれか」に向けて書くとフィードバックをもらいやすいのも良いところかもしれません。FavやRT(読んだよー)してもらえたら、もうそれだけで満足です。さらにメンションやダイレクトメッセージをいただいたら「私のためだけに人生の数分間を使ってくれた…(尊い)」の気持ち。本当に嬉しいです。

想定読者以外の方に読んでもらえるのも、もちろん嬉しいのですが、想定読者が狭すぎの弊害もあります。たとえば、今回のタイトルを見て「どんなシンポジウムだったのか知りたいなー」と思って開いてしまうと、なにもわかりません。ごめんなさい。#JaSSTOnline でツイート検索すると、参加ブログがたくさんアウトプットされていますので、読んでみてくださいね。

そうそう「読者はだれか」は「じぶん」のときもあります。*1

おまけ1: 書籍『数学文章作法』

参加中に、ふと、あたまに浮かんだのが『数学文章作法』です。正確で読みやすい文章を書く心がけの原則とは「読者のことを考える」であり、その原則を具現化したものが本書です。とても丁寧にわかりやすく解説してあり「読者のことを考える」とは、こういうことなのか!と感動するほどです。

なお、私が大切にしている「読者はだれか」は「読者のことを考える」と言葉は似ていますが、ここに書かれているのとは、まったくの別物です(二冊とも読んだのに身についていないのであった)。

おまけ2:「うまくいったらどうなるの?」

わたしたちのチームでよく使うフレーズに「うまくいったらどうなるの?」があります。私が今回のシンポジウムの主催者ならまちがいなく「多くの参加ブログがアウトプットされる」と定義づけるでしょう。結果は見てのとおりですね。素晴らしいです!

*1:CAT GETTING OUT OF A BAG 読者のみなさま、このブログを読むために貴重なお時間を使っていただき、ありがとうございます。2021.08.04 現在 120名の方に読者登録してもらっています。正確には119名かな。1名は自分なので(自分で自分のブログの読者になれるのかを試したことがあって、そのままになっている)。読者登録してもらったときのリアクション(うれしい!とか)をどうやればいいのかわからなくてなにもしてないのですが、私の書く文章や内容に興味を持っていただけたのかな?と、とてもうれしい気持ちでいます。ありがとうございます。

「思考を切り替えるのが大変」ではない理由を考えてみました

ソフトウェアテストシンポジウム2021北海道 の事例セッション『役割分担して行うペアテスト』を聴講しました。その中で「思考を切り替えるのが大変」というお話がありました。

たしかに「テスト(Testing)するときの思考」と「バグチケットをBTS*1に登録するときの思考」はちがいます。前者は未知の問題を探し出すために創造的で破壊的な思考、後者は起きたこと(事実)を整理して簡潔にわかりやすくまとめるといった論理的な思考の占める割合が高いのではないでしょうか。そう、脳みその使い方がちょっとちがうのです。

ところが、わたし自身はその二つの思考を切り替えるのが大変とは感じてません。これは面白いなーと思い、バグを見つけてから次のテストをはじめるまでのことと、なぜ大変と感じてないのかを考えてみました。以降、テスト(Testing)するときの思考を「テスト脳」と書きます。

バグを見つけたらプログラマーに見せる

わたしたちのチームはバグを見つけたらチケットを書く前にプログラマーに見せます。どんなことをしていたかを白状し 伝え、状況に応じてログファイルを見たり、もう一度バグを再現させたり、追加で試してみたいことがあれば一緒にテストします。この時点でバグに対する一時調査が終わっていることも少なくありません。
このときはまだテスト脳です。バグの種類や内容にもよりますが若干興奮している状態です。

チケットを登録する

プログラマーに伝えたらチケットを書きます。

  • タイトル
  • システムバージョン
  • 概要
  • 再現手順(わかれば)
  • 画面キャプチャ(あれば)
  • ログファイルの置き場所(あれば)


この段階で、はじめの読者(プログラマー)とある程度、認識合わせができているので「この表現で伝わるかな?」と思い悩むことがないのだと気づきました。
このときは余韻は残っているけどテスト脳ではありません。前の授業が体育(水泳)で身体が心地よいだるさに包まれている感じです。

余談ですが、チケットはほどほどに書いておけばよいことになってます。コーディングした時点ではうまく動くかわからないのと同じで、うまく伝わるかは自分以外の人に読んでもらわないとわかりません。チケットを読んだ誰かが、この書き方だとわかりづらいなとか、そういう意味だったのね(誤解した)とか、具体的な問題を検出した時点で書き直してます。 
この「ほどほどに書いておけばよい」というスタンスは、書き手に余計な時間(時間とはその人の時間ではなくチームの時間)を使わせないという考え方が働いているのだと思います。

テストを再開する

チケットの登録が終わり、テストを再開します。おそらくここで「思考を切り替えるのが大変」と感じるのだと思います。バグを見つける直前のテスト脳に持っていきたいのですよね。

わたしの場合は(もうひとりいるテスターも)バグを見つけたチケットについては、手をつけないことが多いです。プログラマーに見せたときに「もっとやってほしい」とリクエストがあればやりますが、そうでなければ、バグが直ってくるまでテストしません。
わたしたちは、別のチケットのテストを開始します。新しいテストのはじまりです。先ほどのチケットとは内容が異なるのでバグを見つける直前のテスト脳に戻さなくてもいいのです。そこが大きなちがいかなと思いました。チームで扱うチケットの大きさや、チケットの数も関係するのかもしれません。

バグに執着させない

わたしはバグを見つけると芋づる式にいろんなことを試したくなります。一番シンプルな再現手順を見つけるために、どこのなにがバグの引き金になったのかを知りたくなります。他の条件でも同じバグが発生するのかしないのか。確かめたいことが次から次へと出てきますが、それをさせてはもらえません。「バグを見つけたらすぐにプログラマーに見せる」というプラクティスが邪魔をする 防波堤になっています。バグを見つけても、伝わるまでは見つかってないのと同じなのです。プロの無職、曰く「テスターの満足より、いまチームとしてどうしてほしいかの方がだいじ」とのこと。*2

それはもう既知のバグなんだよ。あなたにはまだ誰も気づいていない未知の問題や課題を見つけてほしいんだ。

さいごに

わたしのテスト中における過集中は自他共に認めるところではありますが、それに加えて「思考を切り替えるのがめっちゃうまいのでは?」と思ったりもしたのですが、そうではなかったです。バグを見つける直前のテスト脳に戻す必要がなかったのでした。開発のやりかたのちがいである、と今日のところは結論づけたいと思います。

このようなシンポジウムに参加すると、自分たちが普段やっていることを、ちがう視点で見つめ直すきっかけをもらえたりします。知らないことがたくさんあるのだなぁとあらためて思いますし、気分転換にもなりますね。基調講演と招待講演もとてもよかったです。

*1:Bug Tracking System

*2:プロの無職 == @m_seki

ログイン機能(背景)を公開します

drive.google.com

iCARE Dev Meetup #22 にお呼ばれして登壇したときに、説明上「架空の機能」が必要になりまして、Clean Agile 基本に立ち戻れ (アスキードワンゴ) の 第3章 ビジネスプラクティス(受け入れ試験)に記載してあった「ログイン機能」を使いました。

もしユーザーが有効なユーザー名とパスワードを入力する

かつ「ログイン」をクリックする

ならばシステムは「ようこそ」ページを表示すること

この3行仕様から、どんなことを考えたのか、どんなことを試そうとするのか、大雑把に描いたものが こちらのマインドマップです。当日のスライドでは主に背景(笑)として使いました。*1

このブログをお読みのみなさんと一緒に「ログイン機能」を作ることになったとき、わたしはこんなことを気にしますよ、と伝えることができるかな(そしてすこしでも役に立てたらうれしい)と思い、公開することにしました。*2

*1:普段の開発ではこういうのは描かない。

*2:組み込み系なのでちょっとだいぶ癖があるかもしれない。

大人になってから知る、絵本のもうひとつの楽しみかた

 

Twitterでの会話がきっかけで、45年ぶりくらいに『ねえさんといもうと』を読み直しました。

ねえさんといもうと

ねえさんといもうと

 

やさしくて、ちょっぴりせつなくなる、なんともない日常の、ある日の姉妹のおはなし。願わくば、当時手にした福音館書店版(マーサ・アレキサンダーさん 絵、やがわすみこさん 訳)が欲しかったのだけど、現在は絶版となっていて新品は入手がむずかしいようです。あすなろ書房から2019年に刊行された酒井駒子さん版『ねえさんといもうと』は、もうため息がでてしまうくらい、とても良かった。繊細でやわらかで美しいタッチで描かれる姉妹が、絵本の中で動いているようでした。ふたりの表情の描写も細やかで、福音館書店版よりこころに伝わってくるものが多いと思います。

わたしは「ねえさん」

私には三つ年下の妹がいるのですが、おもしろいことに、当時と同じように「ねえさん」の立ち位置で読んでしまいます。いまとなっては「いもうと」の心情や行動も手にとるようにわかるのに、この絵本を読むときの私は、いつも「ねえさん」なのです。

本当は大好きなおはなしのくせに、読んでいる姿を誰にも(特に妹には)見られたくないという、不思議な絵本でした。だから、お部屋のすみっこか、二段ベッドの上段でこっそりと読んでいたのです。この、なんとも説明のつかないあの複雑な気持ちを、いまも再現できてしまうし、「あのときの複雑な気持ちはね……」と当時の私におしえてあげる、そんなことも可能なのです。45年前の自分と対話できるなんて、絵本はタイムマシンなんだわ!と思いました。

絵本のちから 

45年前、私は家族4人で川崎の団地で暮らしていました。8階のベランダから多摩川や、河川敷のグランドや、蒲田ー川崎間に架かる京浜東北線の鉄道橋を、いつも眺めていました。

目に浮かぶその風景は、フィルム写真のようにすこし色褪せています。懐古するときの脳が、無意識のうちに画像処理をほどこしてしまうのか。それとも、記憶が薄れるにしたがって、いくつかの色彩が抜け落ちてしまうのか。ううん、光化学スモッグのせいで大気が汚染され、目に映る景色が本当に色褪せていたのかもしれないな。(川崎市光化学スモッグについて調べたら、昭和45年度(1970年)の測定開始以来、大気中の濃度が一番高かったのが昭和49年度(1974年)という報告があり、まさにそのころの話です。)


絵本には深層意識に働きかける力がありそうです。ずっと忘れていたことを、思い出そうともしなかったことを、思い出させてくれる。忘れていたのは思い出ではなく、思い出をしまってある記憶領域の検索方法でした。絵本は索引に並んでいる用語のような役目を果たします。

団地の中に響く生活音。流れている空気。各階のおどり場の奥にある、吸い込まれそうな灰色のダストシュート。団地の広場でたまに見かけたポン菓子屋さんの軽トラック。ドカン!という破裂音と香ばしくて甘いにおい。

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河原町団地

お気に入りの絵本

昔のことを懐かしむ。そういうことができるお年頃(状況)になったのかもしれませんね。とにかく、あのころの私と、私のまわりにあったものに、もう一度会いたくなって、よく読んでいた絵本を12冊選びました。

  • 4月 ももいろのきりん
  • 5月 いやいやえん
  • 6月 ちいさいおうち
  • 7月 ロボット・カミイ
  • 8月 おしいれのぼうけん
  • 9月 ぐるんぱのようちえん
  • 10月 おおきなおおきな おいも
  • 11月 おおきなかぶ
  • 12月 てぶくろ
  • 1月 おだんごぱん
  • 2月 そらいろのたね
  • 3月 スイミー

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次点は『エルマーのぼうけん』

1970年代にもあった絵本のサブスク

私が通っていた幼稚園では月に一度、絵本がもらえる日がありました。先生から新しいすべすべの絵本を手渡され「どんなおはなしかなあ」と、わくわくしながら、帰りの園バスに乗りこみました。

ずいぶんあとになって、母から「あれは希望者が購入していたのよ」と教えてもらいました。福音館書店の『こどものとも』『かがくのとも』という月刊誌です。季節やこどもの成長にあわせたバラエティ豊かな絵本を選び、届けてくれる。1970年代もこんなサブスクがあったのです。絵本の多くは母が選んでくれたものと記憶していますが、今回選んだ12冊のうち9冊が福音館書店の絵本なのも、この月刊誌の影響を受けているのでしょう。

半世紀の時を超えて

買い直した絵本を母に見せたら、どんな顔をするのでしょうか。母もタイムマシンに乗り、二人の姉妹の子育てに奮闘していたころの自分や、ちいさくてかわいい(笑)私や妹に再会すると思います。そして、なにかを思い出し「そういえばね……」と話してくれそうな気がしてならないし、それを聞きたがっている私がいるのです。

 

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