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Feelingを大切にするということ

先日行われたJaSST'15 Tokyoのマイケル・ボルトンさんの基調講演はとても良かった。なにが良かったのかって。それはわたし(たち)のやってるテストが間違ってないんだな、ということがわかったから。

うーん「間違ってない」というのは言葉の選び方として適切じゃないな。正しくはボルトンさんの提唱してるRapid Software Testingのアイデアのいくつかをわたしたちのチームでは(たまたま)行っていて、はじめて聞くボルトンさんの話しに「うんうん」「そうだよね」「わかるわ~」という風に共感できてしまい、単純に嬉しかったのかもしれない。

 

そう、わたしたちのチームでFeelingはとても大切にされている。それは表示がちょっとずれてて気持ち悪いだとか、ボタンが一瞬チカチカするとか、この画面だけ雰囲気が違うなーとかいった視覚に関するものから、なんとなく動きがもっさりしている、昨日より応答が1、2秒遅くなったような気がするんだけど・・・といった体感速度に関するものなど実にさまざま。(そういうチケットにはオノマトペが使用されることが多い)

 

そしてこのFeelingを適用する範囲は製品そのものだけにとどまらず、仕事のやり方や態度についても同じだったりする。

 

わたしたちは毎朝チケットを読み合わせるんだけど「その直し方だとヤバいかも」と設計のおかしさや将来的な危うさに関する匂いを嗅ぎつけたり、今日の作業内容(どう実装する)を話すその○○さんの言動から「○○さんは混乱してるっぽい」ということが分かったりする。今日は一度も視線を合わせてこないんだよなーといったことで、そのシグナルが立ったりもするらしいし、体調や機嫌もバレる。

ちなみに、わたしがノリノリでテストしてたりすると異常値っぽいフラグが立つようですよ。気をつけなければ。

 

そうした「おかしさ」を感じることができたとしても、それを受け取る側の態度も重要で、例えば、テスターが見つけた「おかしさ」や「違和感」を、プログラマが「それはそういう仕様だから」とか(そんなのどうでもいいじゃん、面倒くさいなぁ)とかいったスタイルで接してしまうと(そういうのは言葉になってなくても分かるのよ)、それ以降テスターはそういったFeelingを起点とした報告はしなくなる。きっとね。

そして、これはわたしの場合だけど、わたしの感じる「おかしさ」や「違和感」を何がなんでも直して欲しい、という気持ちはない。わたしがなぜこれをおかしいと感じるのか。それをチームのメンバーにも分かってほしい。うん。それだけです。

 

幸いわたしが属している2つのチームはFeelingを共有する基盤みたいなものができていて、テスターから報告されたFeeling(例えば「おかしさ」)についてどう取り扱うのかをチームのみんなで話し合っている。

ちなみに、こういった報告はテスターだけじゃなくてプログラマからも報告される。思ったことや感じたことを素直に表現してもいいチームの雰囲気ができあがっているのは、わりとポイントかもしれないね。

 

話を戻すと、その結果コードが修正されることもあれば、仕様から見直しが入ることもあるし、時には「おかしさ」をチームで受け入れることもある。そのようなときは「おかしさ」の発生頻度やユーザーの困り具合、それを修正するためのコスト、修正しない場合のリスクなど様々な観点で話し合う。いずれにせよ「おかしさ」について、チームとしてその時点でのベストと思われる判断がなされる。

もちろん「おかしさ」自体が間違っていることもあって、その場合はテスター自身が製品やテストのやり方について学べる機会となる。

 

Feelingを大切にするということは、自分たちの作る製品やチームのメンバーの仕事のやり方や態度に興味を持ち続け、日々こころの目で感じながら注意深く観察し、みんなが感じたFeelingに対し真摯に向き合い、チームとしてそれをどう取り扱うのかを決めていくことなんだと、2つのチームを見てわたしはそう思う。